Sachikoの青年海外協力隊☆活動記録☆ ケニアで森林保全の仕事をします。 2ヶ月間の二本松訓練、ケニアの首都ナイロビでのスワヒリ語訓練を終え、任地のナロクにて活動中!
2010年10月28日木曜日
ケニアで鍋!
ナイロビから家の視察に来たJICAのスタッフの方に、ナロクでは手に入らないネギと白菜、そして豆腐(!)を頂きました。
これは、鍋だろ~!
ってことで、早速、ナロクにもう一人いる先輩隊員と一緒にうちで鍋をすることに♪
タウンのスーパーで鳥肉とマッシュルームを買ってきてもらって、白菜とネギたっぷりの鳥鍋。
先輩が日本から持ってきたダシを入れると、
ふわ~と醤油の良い香り。。。わーい(^▽^)
鳥肉が冷凍で、しかも骨と油が多くて、ちょっと切るのが大変だったけど、
二人でおしゃべりしながら料理するのも楽しかったし、
鍋をつつきながら、色々話ができて、なんだか久しぶりにホッとできた時間でした。
人生、先のことは誰にも分からない。
でも、今目の前にあることを、今できることを一生懸命やるしかない!
明日も、お互いまた頑張りましょうね。
2010年10月26日火曜日
ダチョウの卵
Mosesのメディカルキャンプ2日目のこと。
ナロクから現地に向かう途中、
ぽつんと立った一つの木に何頭ものキリンたちが群がって一生懸命葉っぱを食べる姿が見えた。
この乾燥の地で、キリンたちも、食べ物を探すので必死なのだ。
木も可哀そうだけど・・・
1日目に受付だけをして受診できなかった人々に加え、新しい人々、そして学校の子どもたちが加わり、2日目も大混雑。診察用紙を持った人々が詰めかけた。反省を生かし、初めから列に並んで座ってもらえるように椅子を配置、一人ひとり、「あなたココ、はい少し動いてください!」と声をかけながら、なんとか順番に受診ができるようになった。。。
ふ~っと息をつくも束の間、一人のおじいちゃんが頑として動いてくれない。
「どうしたんですか?」と聞くと
どうも、子どもと一緒の席に座るなんてできない、ということらしい。
雰囲気から察するに、もしかしたら村の長老なんだろうか。
ちょっと迷ったが、ドクターに相談して、この長老は特別に先に受診することになった。
『順番抜かし』ではあるが、このプライバシーも何もないような騒然とした診察室で、少しくらい文化的なことに配慮することも必要なのかもしれない。
私がちょっと目を離しているすきに、列はぐちゃぐちゃになり、結局昨日と状況は変わらなくなった。
でも、途中から英語とマサイ語の両方を理解する学校の子どもの一人が通訳兼アシスタントになってくれたので、大助かり!!
まだ、12歳やそこらなのに、英語、スワヒリ語、マサイ語を操るなんて、本当にケニア人には脱帽。
今日も1日があっという間に過ぎた。
帰ろうと言う時になって、車が故障。待ちぼうけをくらっている時だった。
オランダ人のMarchが「Sachiko!ちょっと来て!」と呼んだ。
行くと、マサイ族のママが何やら白い麻袋を下げて立っている。
「私は買えないけど、Sachikoは興味あるかと思って・・・」
中から出てきたのは・・・
ダチョウの卵!!
でかっ!!
(これ、野生のダチョウの卵だよな・・・良いんだろうか・・・)
と思いつつ、きっと私が買わなくても誰かが食べることになるんだろうと思いなおし
一つ買ってみることにした。500シリングだったのを、200シリングにまけてもらった。
食用では、世界一の大きさだと言われるダチョウの卵。ずしっりと重い。
Mosesによると、上手に穴を開けて中身を取り出し、卵の殻はビーズなどを飾って装飾品にするらしい。
とりあえず、近いうちに私の家でダチョウの卵パーティをしようということになった。
最後に参加メンバーみんなで記念撮影。
あっという間の2日間だったけど、色んなことを学んだ気がする。
思い切って参加して良かった!!
色んな出会いに感謝です♪
2010年10月22日金曜日
マサイ族の村へ医療を
うちの職場には、色々な人々が出入りしている。
特にこれといって仕事がない私は、毎日オフィスの自分の部屋を出たり入ったりしながら、
知らない顔に出会っては、握手をして自己紹介をする日々。
Moses も、そんな風に職場で出会った一人だ。
彼は大学を卒業後、故郷マサイの地へ戻り、貧しい人々をアシストするためNGOを立ち上げ活動している。
環境教育のお仕事とは直接関係ないんだけども、実際の人々の様子を見てみたくて、Mosesと一緒にとあるマサイ族の村を訪問することになった。
彼のNGOのプロジェクトの一つである『メディカルキャンプ』は、近くに病院もなければ、病院へ行くお金もないマサイ族の人々へ医療と薬を届けるプロジェクト。
今回は、オランダからのお医者さんPeter と奥さんのMarch、そしてナイロビ大学の医学部の学生グループに同行させてもらうという形になった。薬は、支援金で買ったものと、Mosesがナロク中をかけずり回って寄付で集めたもので、トラックいっぱいだ。
ナロクから車で15分ほど走ったエワソンギロ(Ewaso N'giro)という街から左へ入る。
道はもちろん舗装されてないので、雨に浸食されガタガタ、ボコボコ。まっすぐ走ることはできない。溝や穴を上手に避けながら、ジグザグに注意深く車を走らせなければ、すぐにパンクかスタックだ。
ケニアのドライバーは、ほんと凄いな、といつも思う。しかも、ものすごい砂煙で前がほとんど見えない。
どれくらい走っただろうか。
Mosesに聞いても、「もうちょっと行った所!」だという。
マサイ族にとっての ”もうちょっと”ってどれくらいなんだろうな~・・・などと、ぼんやり思っていたその時、
遠くにポツンと一つ、看板が現れた。小学校の看板だった。
その看板を左折してから、さらに何十分走ったか、やっとトタン屋根の小学校が視界に入った。そして、赤い布を纏ったマサイのママたちや老人たちが、小学校へ向かって草原を歩いている。
小学校へ着くと、既に情報を聞いて集まった人々で溢れ返っていた。
診察を始める前に、まずは受付と会場設定をする。
会場は学校の1室。木の机を二つ並べて、そこへ子ども用のマットレスが運ばれる。即席のベッドになる。さすがに、丸見えでは・・・ということで、その辺の人たちからシュカ(布)を借りて、これまた即席のカーテンを作った。
受付は大変だ。みんな、英語はもちろんスワヒリ語も話せない人が大半で、字も読める人はほとんどいない。マサイ族のMosesたちが、一人一人、名前を聞いて診察用紙に書き取っていく。
私の仕事はというと、『交通整理』。
簡単そうで、これが結構大変!!
診察用紙の番号順に並んでくれたりしたら、すごくラクなんだけど、好き勝手な場所に座り込んだり、
診察室が人だかりになったりで、大混乱。
とにかく診察室の外に座って、名前を呼ばれるのを待ってもらうことになった。
それでも、用紙を持つ私のところへ人々が押し掛ける。
「ターニュペニュ!(ちょっとまってね)」というマサイ語だけを覚えて、連発。
なんとかスムーズに行くようになったら、今度はHIV検査をする別の部屋に呼ばれた。
そこにも人々がうじゃうじゃといて、ドクターが一人呆然と立ち尽くしていた。
「Sachiko!この人だかりを何とかしてくれ!」
そんなこと言われたって、私マサイ語わかんないんですけど・・・
医療のことが分からない私は、どうせ何もできないだろうと思っていたが、
人手が圧倒的に足りていなかった。
しょうがないので、知ってる限りのマサイ語とスワヒリ語、そしてボディーランゲージを駆使して、人々に列を作ってもらう。そうこうしながら、一方で検査を受けた人の診察券を作らないといけないので、大忙しだ。難しいマサイ族の名前を書き写すのに悪戦苦闘してると、新しい人だかりができ、せっかく作った列はバラバラになっていたりする。
ドクターはドクターで、どんどんHIVの検査をしていき、結果を私が書き取るのだが、
診察用紙の順番通りに並んでいるかも分からないし、本人も字を読めないし、
(大丈夫なんだろうか??)と不安を感じることだらけ・・・
でも、出来ることやるしかない。出来る限り、本人の確認を取りながら慌ただしく時が過ぎていった。
10時に到着して以来、飲まず食わずで働き、気づくと夕方4時になっていた。
Marchが「ランチが準備されてるから、ちょっと休憩しましょう。」と私達を呼びに来た。
患者さんたちを置いて休憩に行くのは気がひけたが、さすがに休憩しないと身が持たない。
すぐに帰るからね、と言って遅いランチを食べに部屋を出た。
ランチは村のご馳走、ヤギの『ニャマチョマ(焼き肉)』とライス。美味しかった。
一日一緒に働いていたドクターは、「Sachiko、食べたらすぐに戻ろう。患者が待ってるからね。」と言って急いでご飯を食べる。患者はほったらかしで自分のことを優先するというドクターが街の病院にたくさんいる中で、こんなドクターもいるんだなぁ、とちょっと感激してしまった。
その後も、6時近くまで診察券を作り続けた。
リストは120名を超えた。
それでも、今日は受付だけで診察まで辿りつけなかった人々が140名もいたという。
その人たちは明日、再度受診に来ることになった。
中には歩いて2時間かけて、遠い村から来ている人たちもいて、このうち何人が明日来れるか分からない。
心地いい倦怠感と充実感を味わっていた。この頃オフィスの中で何をするでもなく、仕事を探しながら悶々と過ごしていたので、久々に「働いた!」という気がした。と、同時に、日本で毎日味わっていた『現場』を思い出した。
目の前の仕事に没頭できるという幸せもあるんだな~と再確認すると同時に、なぜケニアで学校現場の仕事を選ばなかったのかも思い出した。
ちょっと違う世界に自分を置いて、そこから物事を考えたり見たりしてみたかったんだった。
『現場』から少し遠いあのオフィスだからこそ、出来ることがあるんじゃないだろうか。
夕暮れのガタガタ道を車に揺られながら、ぼんやりとそんなことを思った。
迷いシマウマ出現!
私の家から職場まで
歩いて10分。
こんな道を毎日通勤してます。
私の職場は、
Ewaso Ngiro South Development Authority
という、地域開発を目的にした政府機関。
看板とオフィスの建物。
イギリスを思わせる石造りの壁に赤い屋根。
さて、ある朝いつも通り出勤すると、
同僚の一人が「サチコ!カメラあるよね!?」
と飛んできた。
「何、何?」(自分を撮ってとか言うのかな・・・)
「シマウマだよ!シマウマがいるんだよ!」
と言うと、私の腕を引っ張って敷地内の草原を歩き始めた。
なんと、迷いシマウマがいるというのだ。
職場にシマウマ・・・さすがケニア!
この同僚は元KWS(ケニアワイルドライフサービス)のスタッフで国立公園で働いていたこともあって、野生動物には詳しい。
シマウマはとても人懐こく、脅かさなければ人間のそばで生活をできる動物なのだそうだ。
人々の証言をもとに、草原を歩いていると・・・いたいた!
迷いシマウマは呑気に草を食んでいる。
群れからはぐれてしまったのだろうか。シマウマの子どもは1頭だけだった。
うちの職場で飼えたらな~
なんて思うけど、実際はそういうことはできないらしい。
その日の午後にはKWSの人がやってきて
迷いシマウマ君はサバンナへ戻っていった。
2010年10月12日火曜日
アフリカンさちこです☆
登録:
投稿 (Atom)