2010年10月22日金曜日

マサイ族の村へ医療を


うちの職場には、色々な人々が出入りしている。
特にこれといって仕事がない私は、毎日オフィスの自分の部屋を出たり入ったりしながら、
知らない顔に出会っては、握手をして自己紹介をする日々。

Moses も、そんな風に職場で出会った一人だ。
彼は大学を卒業後、故郷マサイの地へ戻り、貧しい人々をアシストするためNGOを立ち上げ活動している。

環境教育のお仕事とは直接関係ないんだけども、実際の人々の様子を見てみたくて、Mosesと一緒にとあるマサイ族の村を訪問することになった。

彼のNGOのプロジェクトの一つである『メディカルキャンプ』は、近くに病院もなければ、病院へ行くお金もないマサイ族の人々へ医療と薬を届けるプロジェクト。
今回は、オランダからのお医者さんPeter と奥さんのMarch、そしてナイロビ大学の医学部の学生グループに同行させてもらうという形になった。薬は、支援金で買ったものと、Mosesがナロク中をかけずり回って寄付で集めたもので、トラックいっぱいだ。

ナロクから車で15分ほど走ったエワソンギロ(Ewaso N'giro)という街から左へ入る。
道はもちろん舗装されてないので、雨に浸食されガタガタ、ボコボコ。まっすぐ走ることはできない。溝や穴を上手に避けながら、ジグザグに注意深く車を走らせなければ、すぐにパンクかスタックだ。
ケニアのドライバーは、ほんと凄いな、といつも思う。しかも、ものすごい砂煙で前がほとんど見えない。

どれくらい走っただろうか。
Mosesに聞いても、「もうちょっと行った所!」だという。
マサイ族にとっての ”もうちょっと”ってどれくらいなんだろうな~・・・などと、ぼんやり思っていたその時、
遠くにポツンと一つ、看板が現れた。小学校の看板だった。

その看板を左折してから、さらに何十分走ったか、やっとトタン屋根の小学校が視界に入った。そして、赤い布を纏ったマサイのママたちや老人たちが、小学校へ向かって草原を歩いている。

小学校へ着くと、既に情報を聞いて集まった人々で溢れ返っていた。







診察を始める前に、まずは受付と会場設定をする。
会場は学校の1室。木の机を二つ並べて、そこへ子ども用のマットレスが運ばれる。即席のベッドになる。さすがに、丸見えでは・・・ということで、その辺の人たちからシュカ(布)を借りて、これまた即席のカーテンを作った。

受付は大変だ。みんな、英語はもちろんスワヒリ語も話せない人が大半で、字も読める人はほとんどいない。マサイ族のMosesたちが、一人一人、名前を聞いて診察用紙に書き取っていく。

私の仕事はというと、『交通整理』。
簡単そうで、これが結構大変!!
診察用紙の番号順に並んでくれたりしたら、すごくラクなんだけど、好き勝手な場所に座り込んだり、
診察室が人だかりになったりで、大混乱。
とにかく診察室の外に座って、名前を呼ばれるのを待ってもらうことになった。

それでも、用紙を持つ私のところへ人々が押し掛ける。
「ターニュペニュ!(ちょっとまってね)」というマサイ語だけを覚えて、連発。
なんとかスムーズに行くようになったら、今度はHIV検査をする別の部屋に呼ばれた。

そこにも人々がうじゃうじゃといて、ドクターが一人呆然と立ち尽くしていた。
「Sachiko!この人だかりを何とかしてくれ!」
そんなこと言われたって、私マサイ語わかんないんですけど・・・

医療のことが分からない私は、どうせ何もできないだろうと思っていたが、
人手が圧倒的に足りていなかった。

しょうがないので、知ってる限りのマサイ語とスワヒリ語、そしてボディーランゲージを駆使して、人々に列を作ってもらう。そうこうしながら、一方で検査を受けた人の診察券を作らないといけないので、大忙しだ。難しいマサイ族の名前を書き写すのに悪戦苦闘してると、新しい人だかりができ、せっかく作った列はバラバラになっていたりする。

ドクターはドクターで、どんどんHIVの検査をしていき、結果を私が書き取るのだが、
診察用紙の順番通りに並んでいるかも分からないし、本人も字を読めないし、
(大丈夫なんだろうか??)と不安を感じることだらけ・・・
でも、出来ることやるしかない。出来る限り、本人の確認を取りながら慌ただしく時が過ぎていった。

10時に到着して以来、飲まず食わずで働き、気づくと夕方4時になっていた。

Marchが「ランチが準備されてるから、ちょっと休憩しましょう。」と私達を呼びに来た。
患者さんたちを置いて休憩に行くのは気がひけたが、さすがに休憩しないと身が持たない。
すぐに帰るからね、と言って遅いランチを食べに部屋を出た。

ランチは村のご馳走、ヤギの『ニャマチョマ(焼き肉)』とライス。美味しかった。
一日一緒に働いていたドクターは、「Sachiko、食べたらすぐに戻ろう。患者が待ってるからね。」と言って急いでご飯を食べる。患者はほったらかしで自分のことを優先するというドクターが街の病院にたくさんいる中で、こんなドクターもいるんだなぁ、とちょっと感激してしまった。

その後も、6時近くまで診察券を作り続けた。
リストは120名を超えた。
それでも、今日は受付だけで診察まで辿りつけなかった人々が140名もいたという。
その人たちは明日、再度受診に来ることになった。
中には歩いて2時間かけて、遠い村から来ている人たちもいて、このうち何人が明日来れるか分からない。

心地いい倦怠感と充実感を味わっていた。この頃オフィスの中で何をするでもなく、仕事を探しながら悶々と過ごしていたので、久々に「働いた!」という気がした。と、同時に、日本で毎日味わっていた『現場』を思い出した。

目の前の仕事に没頭できるという幸せもあるんだな~と再確認すると同時に、なぜケニアで学校現場の仕事を選ばなかったのかも思い出した。
ちょっと違う世界に自分を置いて、そこから物事を考えたり見たりしてみたかったんだった。

『現場』から少し遠いあのオフィスだからこそ、出来ることがあるんじゃないだろうか。

夕暮れのガタガタ道を車に揺られながら、ぼんやりとそんなことを思った。

2 件のコメント:

  1. 一日で、大きな仕事をしたんやね!言葉が通じないなかで大変だったね。

    一人でもたくさんの人に薬や検査をっていうMosesさんやドクターや幸子の思いに、うまく言えないんだけど、なんだか読んでいて胸があつくなりました。

    日本で働いていたときも、現場だから出来ること、現場じゃないから出来ること、色々思うことがあるって話してくれていたよね。幸子は自然体でも「幸子だからできること」がいっぱいあると思うので(ナロクでは幸子のネットワーク力にほんと感心した!)、無理せずがんばってね☆

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  2. そんな風に感じてくれたんだね。なんか嬉しいわ!

    私がやったことなんて、ほんのちょっとなんだけど、それでも少しでも役に立てたかな、ということが純粋に嬉しい日でした。
    「私だからできること」か・・・そうだよね。結局、出来ることを一生懸命するしかないなっていつも思う。
    これからも出会いを大切に、そして持ち前の笑顔で(無理せず)頑張ります!ありがとうね☆

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