2012年1月29日日曜日

タンザニア旅行記④ パジェでの年越し、奴隷の歴史、そしてダルエスサラームへ


ストーンタウンで協力隊の仲間と合流して、1月30日の午後に、私達は島の反対側のパジェというビーチに移動した。そこには、20年もこのザンジバルに住んでいるという日本人女性、三浦さんがやっているロッジがある。その名も、「パラダイスビーチバンガロー」。到着すると、その意味が分かった。ロッジの目の前は、まさに白砂、遠浅のエメラルドグリーン・・・そして、誰もいない。観光地のビーチみたいに人でごったがえすことなく、私達の目の前には自然そのもののビーチと青空が広がっていた。


ここのお宿のもう一つの売りは、「美味しい日本食とシーフード♪」。毎回、三浦さんの指導のもとスタッフの方達が新鮮なシーフード の料理を作ってくれた。

日本でも、そしてケニアでも、手帳が予定で埋まらない日が極めて少ない私。そんな日は、溜まってる掃除洗濯レポートなどを一気にこなすというスケジュールになるので、「何も予定がない日」なんて皆無に近い。それが、ここに来て3日間、本当に「何も予定がない日」を体験することができた。朝起きて、ご飯を食べ、「さあ、何しようかな~」なんて日が3日も続くなんて、私の人生で覚えている範囲で無いんじゃないだろうか??


パソコンとか持ってこないで、本当に良かった。

カニさん見えます?
初日の出を見た後、それぞれ今年の一字を書く




























ケニアで出会った仲間とゆっくり過ごす年末年始、本当に良い思い出になりました☆みんな、マイペースなさちこを温かく受け入れてくれてありがとう m( _ _ )m

迷路のような路地。ナソルと一緒じゃないとすぐ迷子になる。
1月2日、それぞれのスケジュールで解散。私は、もう1泊ストーンタウンでして次の日に船で対岸のダルエスサラームに渡ることになっていた。ナソルに連絡をすると、すぐに迎えに来てくれる。またお家にお邪魔して奥さんのワシィラとおしゃべりして、夕方にはナソルが行きつけのコーヒープレイスに連れて行ってくれた。そこは、ナソルのホームらしい。友達がいっぱい。みんな夕暮れのコーヒーを飲みながら、麻雀のようなゲームをして楽しんでいる。


なんと、ナソルの最初の奥さんは、子どもを連れて他の男性のところへ行ってしまったらしい。かなりショックで10年くらい落ち込んでたけど、やっと立ち直ってワシィラと再婚したんだって。船乗りの奥さんも大変だったんだろうけど、ナソルも相当辛い10年を過ごしたんだろうな。でも、今はワシィラLOVEって感じなので、本当に良かった^^


次の日朝、ナソルと待ち合わせまでの間に、元奴隷市場のあった大聖堂へ行った。アラブの商人達やヨーロッパ人達は、宝石や鉄鋼を内陸部から運ぶために使った黒人達を、最後ザンジバルで奴隷として売り飛ばすという奴隷売買を、1873年(これ以降も水面下で続いていたという話だけど)まで続けていた。奴隷達が収容されていたという地下室に入ると、天井は低くほんの10畳ほどのスペース。ここに何百人の人々が入っていたということは、横になって重なるしかない。この劣悪な環境で生き残れた者だけが、奴隷として競り市に並んだのだそうだ。

競り市では、違う民族同士が鎖で繋がれた。言葉でコミュニケーションを取って逃亡などを企てないようにするために。
 
小さな地下室にいると、歴史教科書の中だけの知識だった「奴隷貿易」が、重い重い事実として私の全身に圧し掛かってくるようだった。アフリカ大陸と出会って6年。世界の歴史の中での「アフリカ」を感じることができたことは、私にとって貴重だったと思う。ほんの1時間弱だったけど、来てよかった。

私の荷物を持って列に並んでくれるナソル
昼に出る船に乗るまで、あれもこれも~!!と、わがままな私を、しっかり者のナソルは本当によくコントロールしてくれた。「サチコ!行くよ!」とナソルに引っ張られながら、後ろ髪をひかれつつ、なんとか時間通りにフェリー乗り場に到着。「はい、これに名前とパスポートナンバー書いて!」渡されたのは出国手続きの紙。ひえ~、本当だったんだ。昔ザンジバルは独立した王国だったので、タンザニアと合体した今でも出国手続きがあるって、本で読んだけど・・・。タンザニア内を移動するのに「出国」って、なんか面白い。


船乗りナソルの手際の良いリードで、私は出発10分前にはバッチリ列に並んで、ちゃんと船に乗ることができた。私一人だったらどうなっていたことか・・・。いつも、私は人に恵まれる。本当にナソルには感謝♪♪ 甲板からずっと手を振るナソルを見ていた。いつかまた、ザンジバルにナソル達に会いに来たいな。

アザムという会社のエコノミーのチケット 35ドル。7:00、9:30、12:30、15:30発がある。あまり遅くにダルエスサラームに着くのはよくないとナソルに強く勧められて12:30の船にした。船に乗り込むとまさに席取合戦。その状況を見て、私はいち早く戦線離脱。他のタンザニア人と一緒に荷物をまくらにして甲板に寝ころんだ。ファーストクラスはクーラーとテレビのある部屋の中に席がある。出発して30分したころ、偉そうな船員さんが、ファーストクラスの部屋から手招きしてくれて、私を入れてくれた。席が空いてるから座れ、と。ちょっと酔いかけてたので、有り難く席に座らせてもらう。助かった~^^

3時間くらいで、ダルエスサラームのビル街が見えてきた。船から降りると、タクシーの客引きがわんさか。その波をかき分けて、人気のない所まで行ってから、果物屋さんに布市場の場所を聞く。パイナップルを食べながら話してると、その方面へ行くという人が現れ、その人がなんと私の荷物を持ってくれて、布市場まで連れて行ってくれた。さらに、重い荷物は、優しいインド人のオーナーの店に置かせてもらい、布を見るために歩き始めた。と、そこへ聞きなれた日本語が・・・振り返ると、今晩合流するはずだった友達!


偶然にしては、すごすぎる。ナソルだったら「神の御加護だね」って、あのダンディーな笑顔で言うだろうなぁ。


とにもかくにも、友達と無事に出会えた私は、その日泊まる宿まで迷うことなく連れて行ってもらえたのでした。


ダルエスサラームでの最終日は、一回行ってみたかった「ティンガティンガ村」へ。私がティンガティンガの絵に初めて出会ったのは、、、いつだったかな。大学生の頃、アフリカに何となく憧れを抱いていた時、アフリカ雑貨のお店で見つけたカラフルで大胆なキリンとカバの絵。今では、ケニアでテレビのアニメになっている。

ティンガティンガ派の画家さんたちが、たくさん集まって絵を描いている村。そこかしこにキャンバスに描かれた絵が飾られている。
すごく素敵な絵を描くAMONDEさんと☆
画家さんによって微妙に画風が違って、それも楽しい。
そして、ネームプレートとかコップ、お盆などの雑貨も可愛い~~☆☆
協力隊の友達の一人は、何日間か通って絵を習いました。
絵を1日じっくりと見て回るだけでも飽きないだろうなぁ。


という感じで、私と友達の増えてしまった荷物を一度ケニアに置くため、みんなよりひと足先にナイロビに戻り、次はエチオピアへ旅立ちます!


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